2011年11月30日水曜日

Cliff house at Pikes Peak クリフハウス(ホテル)

子供達からのプレゼントであるクリフハウスホテル一泊アニバーサリーパッケージ。自宅から車で30分もかからないところなのに、今まで一度も来た事がありませんでした。だから楽しみでワクワク!

街のメインストリートから一つ通りを奥に入った所にあります。だんだんホテルに近づいていく様子・・・
              さあ、どうぞご一緒に、皆様を中へご案内致します。
1874年にColorado Springs からLeadvill までの金鉱の通り道に乗り合い馬車の停留所として始めは小さな宿屋(20部屋)としてスタートし、1876年にエドワード・ニコラス氏が新しいオーナーとなりクリフハウスと命名。20部屋から56部屋・・・そして最終的には200部屋ものリゾートホテル&スパとなり、金鉱で幸運を掘り当てた沢山の資産家たちで賑わったようです。当時の著名人がゲストとして名を連ねています。ルーズベルト大統領(コロラドがお気に入りだったのでしょうか?グレンウッドスプリングスのホテル・コロラドにもいらしてましたね)、オーストリア国王子、チャールス・ディケンズ(クリスマス・キャロルの作者)、トーマス・エジソン、クラーク・ゲーブル等など。
私達のお部屋・・・トーマス・エジソン スイートです。そしてお隣さんはクラーク・ゲーブル スイートです。
部屋に入るとネットで見たのと同じ、とても綺麗なお部屋が!良かった~!単に写真写りが良いだけではありませんでした。思わずホッとする爺婆です。何しろホテル・コロラドの経験がありますから(笑)。
ベッドの上には一輪の深紅のバラが! そしてアニバーサリーパッケージに含まれているワインとスイーツも♪
フレッシュのイチゴをチョコレートでコーティングしてまるでイチゴがタキシードを着たみたいです。4個のうち爺やが3個、婆やが1個、頂きました。ワインは婆やが1杯。残りはジャクジーの中に入れて香りを楽しみました。


ベッドルームとバスルームが全部続きでトイレ以外、ドアがないので、広々と感じられます。




右が大きなバスタブ(ジャクジー)で、洗面台ああり、左がトイレとその奥がスチームシャワーになっています。



こちらがそのスチームシャワー。大理石の壁に通常の上からのシャワー口以外に2つシャワー口が付いています。ここからものすごい水量のお湯が出てくるんです。気持ち良いのなんのって!あっと言う間に湯気で何も見えなくなってしまうくらいです。爺やがこの後しばらく“スチームシャワー、あれ良かったな~!”と申しておりましたが、本当にそれほど良かったです!





夕食は6時半に予約していたのですが、お腹がペコペコになった爺婆は
30分予約を繰り上げて頂き、6時にディナーへ。
レストランの中は少し早めとあって、まだ静かでした。パンとバターがまず出てきて、つまんでいるうちに前菜が。グレンウッドスプリングスはイタリアンでしたが、こちらはフレンチ。



サラダ、そしてメインディッシュのステーキ。どれも美味しく頂きました。デザート皿にはチョコレートで



ハーッピー・アニバーサリーの文字が。3種類の味の違うクリーム・ブリュレ。ご馳走様でございました。


パッケージには朝食も込みですので、いつもは果物しか頂かない婆やも折角ですから、少し頂くことに。バナナが随分と色が黒いのにはびっくり!でも中はちゃんとフレッシュで甘いバナナでした。
大変長らくお付き合い頂きありがとうございました。これにて結婚記念日旅行、終了です。この後Manitou Springsからの帰り道にOld Colorado Cityに立ち寄り、お土産を買い我が家への帰路に着きました。

2011年11月29日火曜日

来週、ちょっとだけ旅に出ます!




携帯からは無事投稿できました・・・が、写真のアップの仕方が今までPCでやっていたようには出来ません。はて?どうしたものか・・・。今更なんでこの様なことで悩んでいるかと申しますと、4日から3泊4日でカルフォルニアに娘2人と一緒に旅行に行くのです。ディズニーランドに行って来ま~す!いくら小型のPCとは言え持って行くとなると荷物になる!そこで携帯からブログに投稿しようって訳なのですが・・・どうもこの分じゃ技術向上が間に合いそうにもないので(婆やの)更新は7日以降、帰宅してからと言うことになりそうです。m(_ _)m




娘達との旅行は長女が結婚する前にどこか行こう?と考えていたのですが、結局忙しさにかまけて実現せず、今回ひょんなことでディズニーに行こうか?と話が出て、急遽話が盛り上がり何だか勢いで決まってしまいました。でもそうでもしないと一生娘達と旅することなんて出来ませんものね。(嫁いでしまって子供でも出来ればしばらくはだめだし、子供が手を離れるような頃にはこっちがもう体が言う事聞かなくなっている?!)そんな訳で思い切って行って参ります。




男どもは留守番です。もちろん太郎も! 大丈夫かな~?




心配山ほどですが、この際彼らを信じて清水の舞台から飛び降りる???つもりで行くことにしましょう。沢山写真撮って来ますね♪




しばらくはミッキーフィーバーが我が家では続きそう(^^)/~

2011年11月28日月曜日

携帯から投稿できるか?

I-phoneからブログに投稿してます。
初めてなので実験です。😏

2011年11月27日日曜日

結婚記念日旅行 その5

Miramont Castleから街に戻った爺婆、お腹が空いていた~!と近くのレストランに入ることに。


BJ's Bistroでサンドウィッチを頂きました。アメリカに来て35年、初めてフィッシュサンドウィッチで皮付きの焼いた魚が入って来ました。これって当たり前のようでこちらではとっても珍しいことなのだと思います。通常は白身の皮も骨も無い何の魚だか判らないのがフライになってはさまっています。




爺やはマッシュルームハンバーガー(左上)を頼みました。これもたっぷりのマッシュルームでいかにもホームメイドって感じで満足の行くランチでした♪婆やのフィッシュサンドは写真取り忘れ、一口かじってしまってます・・・すいません。(右上)


街を歩いているとあちらこちらに犬が・・・だからでしょうね~、こんなものも道端に。犬用のお水です。



太郎を連れて来たかったな~。

大型犬も小型犬もいろいろあり、犬を探してついつい見てしまう婆やですが、歩きつかれたのか?飼い主さんに肩車(と、言うのかどうか?)してもらっているワンちゃん、始めて見た~!!!(右下)


古い街なのですが、最近随分と洒落たお店が増え、一年中観光客が絶えなくなりました。
こんなアンティックショップもいくつもあります。これと言って何を買うわけでも無く、ただブラブラと覗いているのもまた楽しい・・・爺やはなんと4匹の亀の置物をこの日見つけて、嬉しそうに例の亀コレクションの棚に加えました。まあ何か集める目的があるとブラブラもさらに楽しい・・・?
ミネラル泉です。味見をするとかなり強い炭酸水で苦くて酸っぱい感じ?飲むにはあまり美味しくはありませんけど、病気には効くのかな?
街の中にはこの他にも幾つものミネラル泉があります。日本だったら有名な温泉地になって湯治客で賑わうところでしょうけど、アメリカ人はミネラル泉を沸かしてまで温泉旅館を作るなんてことはしないかな~?うちから30分ほどでこれるのですから便利で良いのですが、あ~、もったいない!

2011年11月26日土曜日

結婚記念日旅行 その4

一言で言えば・・・写真の撮りすぎだと言うことです。そこでちまちま少しずつアップするのはもう止め!この際、簡単な説明のみにし(はて、出来るでしょうか?)、Miramont Castleを終わらせて次に進むことにします。



3階の山側には大きなホールルームがあり、きっとここでダンスや会食が行われたのであろう、と想像が出来ます。昔はここに神父の収集した高価な絵画などが展示されていたのですが、神父が去った後、フランスに送り返されたと言われています。




こちらのベッドルームはフランコロン神父の母親のベッドルームだったのですが、このドレッサーにはしばしば写るはずの無い黒いドレスをまとった婦人が見えるそうです。
鏡台の鏡に映りこむ婦人は神父の母親でしょうか?実際ネットに写真が載っていました。何ともいえませんがこのお城を見ていると、無きにしも非ず・・・?と思えてしまいますから、不思議です。




古いミシンのあるソーイングルーム、神父のベッドルーム、バスルーム、など小さな部屋が続きます。



4階に上がると今はギフトショップとなっている屋根裏部屋があります。横に細長く廊下が続き、それに接続するように幾つもの小部屋があります。ここは召使達が使用していた部屋と思われます。数知れないリネンの収納場所としても使われていました。現在はアンティックドールやアンティックトーイが展示され、1900年以前のこの人形達はいったいどんな光景を見てきたのか?と聞けるものなら人形達の話を聞いてみたいと思ってしまいます。
4階から一旦外へ出て細い下り階段を降りると2階にあるティールームに入ることが出来ます。この写真、光の加減か?白い煙のような影が見て取れます・・・単なるカメラの光の具合、と思いたいですが。
ティールームの給仕さん、こんな格好でサービスしてくれます。午後のお茶の時間には簡単なティーサンドウィッチなども出されます。一般駐車場は4階のギフトショップから出た近くにありますので、ティールームから出て、また外を歩いて4階の高さまで戻り車に乗って城の裏から横を通り、正面へ戻ります。
城の裏通りはこんな感じです。このお城にはもう一つ悲話があります。修道女のヘリエッタが城で首を吊って亡くなったのですが、原因は聖職を辞してまで彼女と結婚することはできないと拒んだフランコロン神父の子を宿していたからだとも言われています。




ぐるっと周って正面に戻り、やっと次の場所へ。お疲れ様でございました。m(_ _)m

2011年11月23日水曜日

結婚記念日旅行 その3

3階に上がる階段の途中の踊り場には細長いクリスマスツリーとそれを囲むように当時の村人の様にドレスアップした人形が飾ってあります。あらためて昼間で良かった・・・。階段の横の壁には古い写真が所狭しと展示されてあり、昔を偲ばせてくれます。




山に向かって天井までのガラス窓・・・ここは温室として使われ、以前は天井もガラス張りで非常に明るい部屋だったため、神父の後Miramont Castleを購入した慈善修道女会では手術室として使用していたようです。(コロラドの乾燥した空気が結核の療養に大変良いとの評判で、城は結核患者専用の病院としてしばらくの間利用されていました)
その隣は16面の壁の部屋で、写真でもお分りのように壁が凸凹と出たり入ったりしています。
城は総面積が14000スクエアーフィート(定かでは無いですが、たぶん1100平米くらい?)の4階建てでどの階からも外に出られるように斜面に設置されています。建築様式としてはクイーンアンをはじめなんと9つもの様式が取り入れられています。フランコロン神父が設計に直接たずさわり、Gillis兄弟(Archie, Angusのこの時代では結構知られた建築家)が建設しました。城の外壁の石や内部の木材に渡り神父がいかに費用を惜しまず、こだわって建てられたかがうかがわれます。
そして1897年完成の時点ですでに水道、電気、暖房完備の当時としては最先端のモダンな城だったのです。

さてと、明日はこちらのThanksgivingなので婆やはやることが山積みで・・・。すみませんがこのつづきはまた次回に(いったい一泊旅行記がいつまでかかることやら・・・やれやれ)。

2011年11月20日日曜日

結婚記念日旅行 その2

Miramont Castle のミステリーとは・・・フランスの身分の高い貴族の息子のフランコロン神父はなぜ彼と母親二人だけのために46部屋もあるこの城を住まいとして建てさせたのか?そしてなぜ1900年に城を捨て去りフランスに戻ってしまったのか?(母親は1900年にフランスに戻りすぐに死亡しましたが、神父はフランスに戻ったかどうかも定かではないらしいのです)実際にこの城に神父とその母親が暮らしたのは1895年に城の建築が開始されて、97年に東側の増築が完成し移り住んでからたったの3年余りだったことになります。



フランコロン神父がどうして突然城を捨てて忽然と行方をくらませたか一説にはこんな話があります。神父には彼が小児性愛者で児童買春を強要したとの噂があり、それを修道院長(女性の)が酷く責めて、すべてを公衆の面前にさらけ出すと脅し、それに反して神父は修道院長に“お前は数年のうちに死ぬことになるであろう!”と、呪いをかけたのです。 神父の噂はあっという間に村人達の間に広まり、城の建築を任されたAngus Gillisの耳にまで届きます。Angusが馬車で街を通っている時に怒り狂った群集が城に向かって行くのを目撃し、彼は大急ぎで神父に知らせ、自分の馬車に神父を乗せ毛布を被せてかくまいながら、コロラドスプリングスまで送って行き、そこからヨーロッパに向けて神父を逃がしたのでした。

これには身の毛のよだつ様な後書きがあるのです。1901年の8月、Durango からSilverton に向かう列車の事故で神父から呪いをかけられたあの修道院長が惨死してしまったのです。

城の部屋はどれも一癖あり、中には16面もの壁がある部屋もあります。沢山の隠し扉や使用人専用の通路が迷路のように巡らせてあるそうですが、現在そのほとんどが見学通路から外されています。(たぶん迷子になったりするからでしょうか?)




台所には昔ながらの道具が所狭しと置いてあります。110何年前にはここで沢山のメイドさん達が忙しく料理をしていたのでしょうか?
ダイニングルームにもクリスマスのデコレーションがしてありました。テーブルの真ん中には大きな七面鳥が似合いそうですね。違う文献ではフランコロン神父は機会があるごとに子供達を城に招いてご馳走を振舞ったと記されていました。神父の本当の姿はどちらだったのでしょう?



城のあちらこちらに飾ってある1メートル以上から等身大の人形・・・日中は良いのですが、これ薄暗くなったらかなり気味悪いかもしれません。ステンドグラスは文句なしに美しいですが。





神父の建てたお城には小さいながらもチャペルがあります。このチャペルも怪奇現象が起きるスポットの一つだそうです。訪れた観光客や従業員が時々異様な冷気を感じたり、誰もいないのに足音が聞こえたり、ビクトリア調のドレスやタキシードを着た紳士淑女を見かけたり、と現象も様々です。
城にある家具や装飾品、調度品はそれは高価な物が多く、フランスから神父の母親が送ったり、取り寄せたりした物がほとんどで、母親の寝ていたベッドはなんとあのナポレオン皇帝の妹が使用していた物だそうです。
この日は日曜日だったため城の見学は12時からでした。私達が一番乗りでかつただ一組のお客でした。(少なくとも私達が中にいる間は他の方はどなたもお見えになりませんでした)みんな日曜はお昼まで教会でその後少しずつ混むそうです。常駐の城の住人(???)は夕方がお好みだそうで、爺婆はこれと言って何も感ぜずでした。



さあ、いよいよ3階へ・・・